そこに、身体だけでなく、こころでまなぶ「習得の知恵」があります。
身体が固くっても、息が最初はしにくくっても、集中できなくっても、そんな自分をただ見つめてあげれば、
やらなかった時より必ず身体は学んでいるもの。
そう理屈でわかっていても、身体や思いはなかなかついてこない、昨日もそんな体験をしたところです。
「いつか完璧な太陽礼拝ができるようになりたい!」
そんな贅沢な願いを、もちつつ、昨日はアレクサンダー・テクニークの先生に、チャトランガの時に上体を上げる、その上げ方について見てもらいました。
どうも、しっかり足まで全身を含めて使えてない感じがしていたのです。
先生の手の指導をうけ、まずは最初の立ポーズの時の状態から整えていきます。
頭を楽に自由に全身を使っていくアーサナを取っていくと、感覚が呼び起され、呼吸が入ってくるのに気づいたり、動いている時にさらにできていないところにも気がいってしまいます。
「ここまでいく前に色んなことに気付いてしまって、チャトランガまでいきつけません。」
と先生にいうと、
「では、全身、全身と口に出してやってみよう。」
というアドバイスをもらいました。
再挑戦してみると、ちょっとミスがあっても気を取り直して進めていくこと、意志を全身に向け続けることのむずかしさや歯がゆさ、できてないところから気持ちを引きはがすストレスのようなものが、わっと感情として襲ってきました。
先生の指導で自分の観察がしやすい状態になると、より色んな感覚が鋭くなるのです。
膝がいつも少し揃ってなくて、「きしっ」と音がしたり、身体を伸ばしきれなかったダウンドッグがきになったりします。
でも、全身、全身、と自分に言い聞かせてなんとか終了。
「どうでした?」
「うーん。。だいぶ、不満ですけれど、チャトランガは上手くいきました。」
そういいながら、最初の目的を達成したのに、なぜか、「まだ出来ていないところ」に気がいってしまっていることに気づきました。
練習は、目標に一歩づつ近づいていく過程を認めてあげることで成果を上げていくもの。
ところが、頭が楽に自由になってアーサナが取りやすくなると、更に感覚が鋭くなるためか、
できたことを認める前に、「できてない!」と、自分を責め始めていたのです。
いつも自分にある、自虐癖に気付いたレッスンでした。
ふとその時、多忙な国際協力の仕事に力を注いでいた時や、英語・フランス語を習得しようと勉強にいそしんでいた時、達成感というのが全く感じられなかった時期があったことを思い出しました。
今思えば、プロジェクトの節目節目でできたことや、語学も、ちゃんと得ていたものがあったにも関わらず、達成感も喜びも得られなくなって、いつの間にか、続ける熱意を失ってしまっていました。
ひたすら走り続けることだけして、達成した一歩一歩を過程で認めてあげないでいると、いつの間にか、願いを達成させる動力エネルギーか消えてしまうのです。
できることができるようになった喜びは、一旦その場で、しっかり味わうこと♪
今、できた自分を認めてあげ、
贅沢な時間を自分にあげること、、それがアーサナ習得術!
ちょっと身体が固くてとれないアーサナも、呼吸がちょっとしにくくても、そんな自分を認めつつ、続けてあげるとだんだん効果が現れるのが、ヨガのいいところ。
他のことと違って、身体に成果がちゃんと残っていくのが一歩一歩実感できます♪
ヨガから、一歩一歩の自分を認めてあげることを学びませんか♪