「なんで自分は、ヨガを教えたいのだろう?」と色々悩んだ時がありました。
私は人前に立って話したりすること自体は、慣れている、
と思っていたのに、ヨガのレッスンとなると、なぜか急に足がすくむようなところがあったのです。
それは、きっとヨガの知恵の深さを感じていて、大切に思っていて、「ヨガを教えるのはたいへんなことなのだ」
と自分に言い聞かせてたからなのかもしれません。
あるいは、運動神経がさほどいいわけでも、スタイルがいいわけでもない私は、
「人前で身体を動かして見せるほどのことはできていない」、といつも引け目を感じていたこともあるでしょう。
努力しても、まだまだできないことや、わからないことが沢山あるのをわかっているので、
深さを知れば知るほど、教えることについて、尻込みしていたのかも知れません。
「人前で偉そうに教えたいなんて、自分のことを潜在的に誇示したいのかも」、
と思うと、ますます人前に立つ自分がいやになった時がありました。
でも、ふと、ある時から気づいたのです。
ヨガを一人で深めようとしても、なかなか自分がやっていることは気づけないものですが、
生徒さんがやっていることは、比較的見えやすいのです。
そして、生徒さんというのは、心も身体も、なぜか自分と同じようなトラブル、クセを抱えた方が集まるのです。
これは偶然ではなく、脳の認知機能のなせる業です。
目で見えていても、脳は過去に見たり経験したことの全くない、関心のないことは、脳は記憶とにして認識しないものです。自分が持っている課題に注目するのも、脳の認知機能のなせるわざです。
だから、生徒さんのヨガで気になる事やレッスンで起こる事全て、何かしら私の中に気づかせる要素があるからなのです。
次第に生徒さんと一緒に解決していく問題の回答は、自分にもそのまま当てはまることがわかってきました。
生徒さんは、自分の気になっていることの投影、
つまり、一緒に実は自分のことを解決していっているのです。
「頑固な生徒さんだな」と思ったら、
それに気付く私にはなにかしらこだわって頑固な部分が少しはあるわけです。
「もっといいやり方あるのにな」と思ったら、
それは自分が同じような経験をしていたり、私が今アーサナで課題だと思っていることの場合が多いものです。
生徒さんに提案したことが、しばしば自分にも当てはまることだったりします。
そこで初めて気づきました。
「そうか、私が指導したいのは、本当は自分の学びのためで、自分を癒すためだったのだ。」
生徒さんは自分の鏡。
レッスンは私に何かに気づいて手放すことを教えてくれます。
そう気づくと、教える経験には、成功も失敗もない、とわかってきました。
教えることが面白くなってきて、思いがけないやり方が、ときどき自分から出てきたりするようになりました。
「うまくできていない」「伝わったかかしら?」
と、自分をときどき悩ます声は、ほとんどの場合、目の前で起こっている素晴らしい学びの場に、100%でいなかったからだと気付きました。
代わりになんとなくそわそわして先を考えていたり、「どうしよう」と思っていたりしたのです。
指導は最大の癒しのチャンス!
最近になってようやく、私は自分がとってもラッキーな職業についたことに気付きました。
ヨガ・インストラクターの皆さんも、気づけば色々学んでいるはず。もちろん生徒さんと一緒に!
続きは、BodyChance Yoga Friendで成功するヨガ・インストラクターになるためのメール・セミナーへのご参加はこちら!