ここのところ、しばらく、
「指導する」時や人と話す時に
背中の後ろに変な緊張が生まれるのに気付いて
ずっと気になっていた。
まるで「緊張コルセット」みたい。
カラダ全体の使い方に気持ちを切り替えるとよくはなるけれど、
でもまた戻ってくるきりきりする痛み。
「これはいったいなんだろう?!」
そんな疑問をもちながら
あるとき人と話していて、気づいたことがあった。
それは、「教える」「人といる」ことと
「ちゃんとしなくては!」「普通にしなくては」
という思い、
そして背中の緊張がセットになっていることだった。
もっと掘り下げると、子供の頃は
帰国子女だったこともあって集団になじめず、
少し浮いていて心地の悪い思いをしている自分が、
「ちゃんとしたい」「普通の子になりたい」
と思っていた。
「個性的」と言われ、
いつもみんなと同じ気持ちになれず、
みんなの前で(あるいは中で)普通になろう、
とするといつも緊張するのだった。
でも、みんなってなんだろう?とふと思ってみた。
みんな、という塊は存在しない。
本当は個々があってただ一緒にいるだけなのだ。
ないものと同じになろうとすることのばからしさ、
不可能さ、目的のなさにそこで気づいた。
「どうせみんなと一緒に合わせるなんてできないんだから、
このままでいいじゃないか。ありのままで!」
と、気にしていた自分を笑ってみた。
すると、急に背中の塊が降りてなくなった。
「このままで、ラクに自由に生きていこう!」
その場で決意した。
その安堵感、解放感を思いっきり味わって、
一人にんまりして楽しんでみた。
「みんなと同じになろう」とすることに比べて
「このまま」はなんてラクで楽しいんだろう!
それ以来、「緊張コルセット」は現れていない。
過去から抱えている「思い」に気づいて手放すと、
ちゃんとカラダはラクになる。
こころとカラダの癖は、つながってるのだなー、
とまた思った体験でした。
グループの前に立つ人、緊張する
と思う人は、よかったら問うてほしい。
「あなたが怖がっているみんな、人って誰?」
実はあなたが作り出している
実像のないこころの影におびえているだけかも!?