“Stop working on yourself. Enjoy life. Now yoga begins.”
ーMark Whitwell
「自分を正すのをやめ、この命を、人生を楽しみましょう。
そこから、ヨガが始まるのです」
(マーク・ウィットウェル)
私の大好きなハート・オブヨガのMark Whitwellさんの言葉だ。
私達は鍛える快感、追い求めたものをえる快感に魅了される。
達成する快感、追い求める快感は、
一種の麻薬のように魅力的だ。でも、
ただやること、の喜びがヨガなんだ、と
最近やっとヨガでも、実感している。
昔ヨガを始めたころは、体が痛くても、
できないポーズを克服するのが楽しかった。
そこで、克服したい!という思いから、無理してしまい、
怪我や痛みが増え、楽しかったはずのヨガは、
いつの間にか辛くなってきてしまった。
「克服する快感」「達成する快感」中毒になっていると、
頑張ることでしか快感を感じられない。
私の場合は、そこでアレクサンダー・テクニークを学び、ヨガに応用したことで、「不要に頑張らない」「頑張らない」やり方を見つけ、
カラダを痛めることは減ってきた。
できないことができたり、痛くなくなる瞬間の快感は素晴らしい。
すると今度は、克服する快感が、「痛みがなくなる」「正す」快感にすり替わった。
だんだんと、その快感を求め、
ヨガでも、常に苦手なポーズの痛いところを見つけようとし、
逆に痛みを増やしていることに気づいた。
自己嫌悪や自己否定の気持ちをエネルギーにして。
自分を正しても「正しい自分」は見つからない。
永遠に自己否定と嫌悪をエネルギーに、
あるがままの自分を否定したままだと
ヨガも人生も楽しくないままだ。
時間を経て学んでいるうちに、そんなことも徐々に減り、
痛いことややりにくいことも減り、自己嫌悪することが少なくなり、
気付けば、ヨガはわりとやりがいのないただの呼吸法と運動になってきた。
すると、「これでいいのかしら?」というこころの声が聞こえてくる。
鍛えるでもなし、鍛えないでもなし、
淡々と動くヨガをしているだけで本当にいいのか?
私には、筋肉をつけたいとか、
ポーズをどこまでも深めたい、という欲求はもともとあまりなかった。
むしろ、ヨガをしていると、自分の思っていること、
体についてわかるのが楽しかった。
「楽しいから、面白いからヨガしていいんだ」
徐々に、次第に、環境とその時間をただ味わうことの
面白さに魅了されはじめた。
何かをやめたり、痛みをなくしたり、
または目標達成のためのヨガは必要がなくなって、
そんな「やりがいのないヨガ」の時間を淡々と過ごしてみて、
気づいたことがある。
それは、そんな淡々としたヨガ後の
なんとも言えない、気づきの多さと、可能性が広がりだ。
悩んでいたことがふと解決したり、アイデアが浮かんだり、
体も軽く変化していて、思ってもいなかったことができたり、
望むようなことが起こったり、世界が広がることだ。
やりがいのなくなったヨガが「私のヨガ」になると、
期待しなかった喜びや楽しみが現れてきた。
今は、このスキルと経験を
「もっと多くの人に役立てられる」と気づき、
教えながら、学びながら日々実験中のところだ。
あなたのヨガを見つけませんか?