以前の私は、自己鍛錬としてのヨガが、好きだった。
何かを頑張って成し遂げる、
努力して汗をかく、
そのあとの自分に対する満足感が嬉しかった。
その奥には「自分に勝ちたい」という思いがあった。
「誰かに勝ちたい」のではなく、
弱い自分に勝って、頑張るからこそ幸せは手に入る、
そう信じていた。
でも、あるとき、ふと気づいた。
アサナができるようになっても、
どこかで資格やスキルを身につけても、
その達成感や、嬉しさはすぐに消えてしまう。
ゴールを超えれば、次のゴールを追うだけだ。
次のポーズ、他のスキル、掻き立てられ、追い立てられ、
結局、また自分で自分を責める日が続くのだった。
そこには、ヨガで得られるはずの平和な心も、安らぎもなく、
怪我は増え、アサナの上達も、いつの間にか遅々として進まなくなった。
目標を高く持つのは悪いわけではないだろうが、
常に落ち着かない、自分に満足できない、
自信がないままなのは、
ヨガをやっても、
指導者になっても、変わらなかった。
「いくらやっても満足しない」
疲れていても、弱っても止んでも、
目標を見つけずにはいられない自分を
少し異様に思うことがあった。
なぜ、がんばって、
何かを手に入れても
満足できないのだろう?
「このやり方で、この先に本当に
自分が得たい人生が得られるのか?」
そう思った時、アレクサンダー・テクニークに出会った。
そして、ある先生にそんな悩みを打ち明けたとき、こう問われた。
「自分と戦うのはいいけれど、誰が勝つの?
負けた方の自分は、その時、どうなるの?」
そこで、はっと気づいた。
「自分と戦っていることこそが、ストレスの元凶なのだ。」と。
自分の中で争うことには安らぎも平安もない。
自分いじめが目的かしてしまうと、
こころの緊張はカラダを固め、
自ずと怪我を招く。
いつの間にか楽しかったはずのヨガが
楽しくなってきたとしたら、
不毛な戦いをやめる時期なのだ。
それから、私は時間をかけて、
私は、自分のヨガとの向き合い方を変えていった。
「プロセスにこそ喜びがある」
学ぶ過程をただ楽しむ、
できたことも、できなかったことも全てを受けいれ、
ただ淡々と動きに集中することを練習とした。
時には、また自分を追い立てていたり、
それに気づいたりしながら、
また、一つ一つの動きに発見がある楽しくなってきた。
それは長い間に、自分が身に着けてきた、
考え方の習慣に気づくことでもあった。
3年半学校に通って教師になるまでに、どんどん痛みや怪我は減り、
ヨガが楽しくなり、あるときふと、
「本当に人生を楽しむってこういうことなんだなー」
と気づいた。
時間をかけて、自分の人生の味わい方が
変わった、と自覚した瞬間だった。
勝つことでも負けることでもない、
今やっていることが、ただもっと楽しくなるだけ。
それは、意外とシンプルなことから始まるのです。
アレクサンダー・テクニークで
〜安全で心地よい、痛みのないヨガと身体を手に入れるために〜